延べ500人余の市民ボランティアとの調査で判明
柚原剛 研究員を主著者とする論文がLOレター誌に出版されました。
Yuhara, T., T. Suzuki, T. Nishita, J.Murakami, W. Makino, G. Kanaya, K. Kinoshita, N. Yasuno, T. Uchino, J. Urabe (2022) Recovery of macrobenthic communities in tidal flats following the Great East Japan Earthquake. Limnology and Oceanography Letters, https://doi.org/10.1002/lol2.10292
2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の東日本大震災は巨大な津波を引き起こし、街並みだけでなく、沿岸生態系にも大きな変化をもたらしました。実際、仙台湾に点在する多くの干潟では、巨大津波が過ぎ去った後には生息種が激減したり、それまでいなかった生物が現れたりするなど、沿岸生態系での大きな変化が記録されています。しかし、このような稀にしか起こらない大きな自然現象の後、生物群集がどのように変化するのかは、これまでよく分かっていませんでした。
もし、生物群集の変化が継続し、これまでと異なった姿になるのであれば、東日本大震災で発生した大津波は生態系を不可逆的に変化させるほど大きな自然現象であったことになります。しかし、震災前の姿に戻るのであれば、東日本大震災の巨大津波は一時的な撹乱で、生態系を激変させるほどの大きなイベントではなかったことになります。つまり、東日本大震災の巨大津波の自然界での意味を理解するためには、津波によって変化した生物群集の行末を見届ける必要があります。
そこで、延べ500人の市民ボランティアの協力を得て、仙台沿岸でおよそ10年に渡る生物多様性調査を実施しました。対象としたのは、震災前の生物相がわかっていた、蒲生干潟や、鳥の海、松川浦、松島双観山など、仙台湾に点在する8つの干潟です。調査は、毎年干潟ごとに市民ボランティア調査員12名が研究者とチームを組んで実施し、調査員が一定の時間内で干潟を探索し、生物を発見して記録するという方法で行われました。震災直後2〜3年は、いずれの干潟でも生物相が年によって変化しましたが、干潟周囲の環境が元に戻るにつれて震災前に生息していた種が確認されるようになり、7〜9年後にはほぼすべての干潟で震災前と区別がつかない生物群集に戻りました(図)。
ただし、例外もありました。震災前、蒲生干潟の奥部ではヨシが繁茂しており、ヨシ原特有の生物群集がみられましたが、津波によりヨシ原が壊滅したため9年を経ても震災前の姿には戻りませんでした。この結果は、干潟の周囲環境が変わると干潟の生物群集も変化すること、言い換えると、周囲環境が良く保全されている干潟では、巨大津波の後でも生物群集は10年程度で元の姿に戻ることを意味しています。東日本大震災の巨大津波は沿岸の街並みを大きく変化させましたが、自然現象としては沿岸生態系を大きく変化させるものではありませんでした。
地球温暖化が懸念されている現在、今後も人間社会に大きな災害をもたらす自然現象はいたるところで生じる可能性があります。本研究は、沿岸の生物群集は高いレジリエンス(回復力)を持っており、人間が自然環境を大きく変化させなければ、津波や台風など大きな自然撹乱が生じてもやがて沿岸の生物群集は元に戻ることを示しています。一方、蒲生干潟での事例により、生息場・環境の改変はそこに暮らす生物に対し不可逆的な影響をおよぼす可能性が示唆されました。太平洋沿岸域では、防災設備として大きな防潮堤が広域的に建設されましたが、これら人為的な設備が沿岸生態系にどのような影響を及ぼす可能性があるか、検討していくことが今後の課題です。
本研究は三井物産環境基金の10年に及ぶ助成(R11-F1-020、 R14-1009、 and R17-1011)により継続的に実施することが出来ました。また、調査はアースウオッチジャパンによる市民ボランティアプログラムの一環として行われ、延べ500人に及ぶ市民ボランティアの協力によって沿岸生態系の回復力を評価することが出来ました。この場を借りて調査に参加していただいたすべての方々に感謝いたします。
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